隠れ実証のパニック障害


 漢方治療を行うにあたり、証の決定は必要不可欠だが、とりわけ虚実の診断は治療の基礎となる部分であり、この判定が誤っていては治療の効果はおぼつかない。今回は、約6ヶ月もの間、虚証という判断のものとに治療し続けたが効果がなく、あることをきっかけに実証の方剤を用いたところたちどころに治癒したパニック障害の1例を紹介する。

 

 症例は43歳女性のDさん、33経、主訴は動悸、呼吸困難、のぼせ、イライラ、便秘で、X8年から特に月経が近づくと主訴が悪化するのを繰り返していた。X5月から、日中以外にも夜間睡眠中に突如として出現し、なおかつ「死ぬのではないか」という恐怖を伴うようになったため、同月漢方治療を希望され当科受診された。既往歴は32歳時にパニック障害、家族歴は7歳の娘がパニック障害ということからすると、家庭環境や遺伝的気質に何らかの問題があることを窺わせた。診察するに、舌候は淡紅で微歯痕跡あり、脈候は沈で微、腹候は腹力2/5で軟、臍傍に圧痛あり、臍上〜臍下の広い範囲に悸を触れた。中肉中背だが色白で顔色に生気がなく、また声もか細く、すぐに横になりたがり、廊下を歩く姿もよろよろと力ないその様は、まさに虚証そのものだった。

 

 従って、弁証はそんなに難しくないと思いながら、気鬱、気虚、気逆、瘀血、水滞と捉え、とりわけ、気逆と瘀血に対し、虚証の方剤の中から降気剤、活血剤を選択すれば良いと考えた。正解にたどり着くまでそう時間は要しないなと思っていた。ところが実際は、当初の私の楽観的な予想は外れ、治癒に至るまで実に半年を要したのである。

 

 私が選択した処方を羅列する。当初は加味逍遥散、抑肝散加陳皮半夏、桂枝加竜骨牡蛎湯、苓桂朮甘湯、柴胡桂枝乾姜湯、炙甘草湯、煎じの奔豚湯(金匱要略)などの虚証〜中間証の方剤を中心に投与した。しかしまったく効果がなく、気がつくと2ヶ月が経過しており、漢方中心の治療は困難と判断(当科でもエチゾラム、トフィソパムは併用していた)、また患者の幼稚園から小学生の3人の子供を抱える家庭状況が危機的な状態を迎えている様を見ると、一刻も早く治癒に導くのが医師の当然の務めと考え、嫌がる患者を説得し、精神科へ紹介した。精神科では、最初の2ヶ月はアルプラゾラム単剤で様子を見たが効果なく、その後ロフラゼプ酸エチル、ブロマゼパムなどのベンゾジアゼピン系抗不安薬、抗うつ剤としてフルボキサミンマレイン酸塩、そしてスルピリドを次々と追加され、合計5剤が併用された。ところが、期待に反して主訴は一向に好転しなかった。漢方治療も試行錯誤を繰り返し、治療開始後から2ヶ月を経過した7月末に処方した苓桂甘棗湯(煎じ)が唯一動悸を半分に減らすことができるにとどまっていた。また、念のため虚証の方剤ばかりではなく半夏厚朴湯や柴胡加竜骨牡蛎湯という中間から実証薬も試したが効果がなかった。患者は毎晩襲ってくる死の恐怖を伴うパニック障害に怯え、また妻として母親としての務めのプレッシャーも重なり、体重はみるみる減少、5月の治療開始時には56kgあった体重が、10月には46kgに減じていた。食事も咽を通らず、やせ細りふらつきながら歩く姿、そして私の回診で力なく横たわり、蚊のなくような声で症状を訴えるその姿は、ますます虚証が極まっているものと思われた。

 

 漢方的にも現代医学的にも打てる手は全て打ったつもりだった。しかし治癒に結びつかないのは、漢方医である私の力量不足に他ならないのは確かだが、現代医学治療にも全く反応しないのを見ると、治療が難しい症例であることは明らかだった。色々な文献を漁り、また師匠から指導を受けながら治療してきたわけだが、ここで、治療の方向性、羅針盤を失い、船で言うと完全に漂流している状態だった。しかし、苦しむ患者には、幼子3人と仕事を持つ多忙な夫がおり、家庭状況は崩壊寸前、そんな状況に心を痛める患者の精神状態はますます悪化していた。こうした患者を、一日も早く元気な状態まで回復させ、笑顔で家族の元に届けるのが私の務めであり、いつまでも漂流している訳にはいかなかった。

 

 解決の糸口はある日突然訪れた。詰め所でいつものように看護師や薬剤師と雑談している時だった。「Dさん、最近ますますやせちゃって、虚証がどんどん極まっている感じだよね。」という私に、薬剤師は耳を疑うようなことを言ったのだ。「私もそう思っていましたが、この間、廊下で携帯電話で、どうやら子供相手だと思うんですが、話している姿を見かけましたが、すごい大きな声で怒鳴りつけてキレてましたよ。いや〜、あれにはびっくりしましたね。」そして続けた。「先生の前では弱々しくしてますけど、先生がいないところでは結構廊下をスタスタ歩いてますよ。」と。私は、衝撃を受けるとともに、騙された気持ちで一杯になった。しかしそれはすぐに希望に変わった。

 

 患者は便秘をしていたので、これまでは潤腸湯や桂枝加芍薬大黄湯を用いていたが、思い切って大柴胡湯に変えてみた。虚証であるならば、下痢になったり腹痛になったり、または体調が悪くなるはずだ。ところが何も起きない。主訴に対しても効果がないため、三黄瀉心湯にしてみた。これも効果はないものの有害事象もなくケロッとしている。しかも便がでない。私はこの2剤により、この患者が実証であることを確信し、久々に羅針盤を取り戻した気持ちになり、期待を込めて桃核承気湯を投与した。

 

 それから患者が退院したのは僅か3日後だった。桃核承気湯を飲んだ翌日から気持ちよく排便があり、6ヶ月間に渡り、あれほど患者を苦しめた死の恐怖を伴う呼吸困難と動悸は嘘のように消え去った。文字通り、患者は笑顔で幼子と手を繋ぎながら家に帰っていった。私は、ほっと胸をなで下ろし、Dさん一家の幸せを願った。当時私は30代前半、Dさんは43歳で大分年上だなと思ったものだが、その私も今やDさんの歳を軽く超えてしまった。Dさんを心細い目で見ていた子供達は、今はどうしているだろうか。

 

 私は、この症例で、瘀血というものの本質を垣間見た気がした。傷寒論の条文を見ると、まさにこうした症例の治療指針が記されている。張中景の時代から、こうした症例があったことの証だ。傷寒論は勉強していた。条文も読んでいた。しかし、実際の臨床と結びつけ、腑に落ちるのは容易いことではない。これが経験である。漢方は経験医学、同じEBMでもExperience Based Medicineである。多くの経験がその後の治療の質を決めていく。瘀血の意味を私に教えてくれたのは患者であるDさんだった。私はこれまで数え切れない患者の治療にあたり、多くの患者から感謝のお言葉をいただいたが、感謝するのはこちらの方である。多くの教えをいただいたのは私の方である。

 

 最後に傷寒論の桃核承気湯の条文を紹介したいと思う。この条文に、この症例の治療法がそのまま書かれていると思う。解説の下線の部分をご注目いただきたい。

【条文】

太陽病不解、熱結膀胱、其人如狂、血自下。其外不解者、尚未可攻。

當先解其外、外解己、但小腹急結者、乃可攻之、宜桃核承気湯。

【解説】

 太陽病の熱が血と結んで瘀血証となったものを論じている。

 太陽病が解せずして、其の熱が下腹の膀胱部位の血と結んで瘀血証となると、その人は精神異常を起こして、狂人のように振る舞うようになり、その時血が自然に下ることがある。このように血が下るときは、瘀血が去るのであるから、治るものである。しかし、血が下っても治らないものや、血が下らなくても治らないものは、桃核承気湯で攻下しなければならないが、この時にまだ外証が残っておれば、これを攻めてはならない。まず外証を解し、外証が無くなってから、小腹急結の状があれば、瘀血の証であるから、桃核承気湯で攻めてよい。