患者さんに教えられた日々     尋常性乾癬①


 漢方を始めたばかりの頃は、誰しも通る道と思うが、とにかく打率が低い。つまり自分の出した処方が効かない。あの、劇的に効いた加味帰脾湯の症例のようにはいかないどころか、かすりもしない、という惨憺たる日が続いた。

 当然、師に学び、漢方医学書を読みあさり、必死に勉強しているのだが、一向に漢方医学を理解・実践できる気がしなかった。そんなことにはおかまいなく、M病院には漢方治療を求めて、現代医学ではうまく行かない難病症例や漢方治療を求める多くの患者さんが外来に訪れ、また入院されていた。そんな中、私を成長させてくれた印象に残る症例を紹介させてもらおうと思う。

  症例は尋常性乾癬で、いずれも現代医学では難治の罹患歴の長い症例だった。尋常性乾癬とは皮膚疾患で、未だに原因がわかっていない難病である。呼吸器内科では絶対に診ない疾患で、実際私が診た初めての尋常性乾癬だった。その最初の尋常性乾癬患者が、体幹をほぼ埋め尽くす、紅皮症状態の重症患者さんだった。患者さんは遠方から訪れており、既に大きな風呂敷を持参し、明らかに入院する構えだ。私は、正直な性格なので、率直に「あなたを治す自信がありません。何しろ尋常性乾癬を治療した経験がありません。大変申し訳ありませんが、皮膚科を受診していただけませんか?」と申し上げた。

 しかし、その患者さんは私にこう言ったのだ。「皮膚科なら10年以上かかって、治療は全てやり尽くしました。一縷の望みを抱いて、遠路はるばる漢方治療を受けにこの病院に来たのに、何を言われますか。入院させてくれるまでテコでも動きませんからね。」
 私はついに根負けし、とりあえず言われるがままに入院していただいたが、内心は、「どうせ師匠が治療してくれるか、治療を教えてくれるだろう」と高をくくっていた。ところが、師匠は、一緒に診察してくれるものの、軽いアドバイスかヒントしかくれない。結局処方は自分で考えるしかなかったが、確信を持てないまま治療を続けた。

 全く自信がないまま治療を続けることほど、医師にとって苦痛なことはない。第一、患者さんに申し訳ない。しかし患者さんは治ることを信じて私の治療に賭けてくれているため、必死で治療せざるを得ない。今から考えると、そんな環境が私を漢方医として育ててくれたのだと思う。証は、実証、熱証、血かなあ、などと考えるも、「どうせこんな難病には効かないだろう…」と思って出したツムラ黄連解毒湯(オウレンゲドクトウ)(TJ-15)とツムラ桂枝茯苓丸(ケイシブクリョウガン)(TJ-25)が、ついに効果を現し始めた。
 真っ赤だった紅皮症の局面が、徐々に赤みが薄れ、褐色に変化してきた。それもその変化は数日で起きた。当然患者さんは大喜びで、回診に訪れる度に、この病院を選んだ自分の選択がいかに正しかったか、を力説するのだった。私もまんざらでもない気持ちになり、意気揚々と病室を訪れたものだった。尋常性乾癬の治療なんて、意外と簡単なものなのね、などと調子にのっていた。

 ところが、そんな状況は一変する。順調に回復していたと思われたある日、病室を訪れると、患者さんは悲壮な顔をして私に訴えたのだ。「先生、今朝からついに顔に広がってしまいました!」患者さんの顔を見た私は、その真っ赤になった顔面を見て狼狽した。いっぱしの漢方医になったつもりでいた自信は、もろくも崩れ去った。不思議なことに、体幹の局面は著明に改善、色素沈着を残すのみとなっていたのに、何故か、突然に首から上に主戦場を移したかのようだった。私は、この病気の難病と言われる所以を思い出し、簡単に治ってくれない底知れぬ恐ろしさを感じた。しかし、既に、私はこの患者さんの希望になっていた。「先生、これもすぐに治るんでしょう?」という言葉に、退路がないことを悟った。

 現代医学には、診断学と治療学がある。例外を除けば、ほとんど全ての病気に診断名がつけられる。ところが、診断がついても治療法がないものがある。それが難病と言われるものである。しかし、漢方の良いところは、たとえ診断がつかなくても治療ができるというところにある。極端に言えば、治療にあたっては病名は関係なく、漢方的な、いわゆる「証」がある限り、治療することができる。そして、「証」は生きている限り把握できる。つまり、漢方医は、命尽きるまで患者さんとともにあり続けることができる。治療法のなくなった病気を抱えている方はたくさんおられる。治療法がないのに治療を続けるのは、医師として苦しいし、まして患者さんはもっと辛い筈だ。しかし漢方治療は、最後の時まで、医師も患者も希望を持って治療を続けることができる医学だ。私は、そんな漢方が大好きだ。

 さて、症例に戻ろう。私が選択した処方は、白虎加桂枝湯だった。あまりにも劇的に局面が首から上に上がっていったので、気が熱とともに上衝したと考えたのだ。白虎加桂枝湯は白虎湯に桂枝を加えた処方で、エキス剤はなく、煎じ薬である。エキス剤で近いのは、ツムラ白虎加人参湯(ビャッコカニンジントウ)(TJ-34)だが、この場合、発赤局面の熱に対し、人参が良くないと思い、白虎加桂枝湯にした。困った時は煎じ薬、なんとか早く清熱し、顔面の局面を落ち着かせ、患者さんを安心させてあげようと考えた。効果が早く、強い煎じ薬を使うこととした。

 翌日、大きな不安と小さな期待を胸に病室を訪れた私が見たのは、患者さんの満面の笑顔だった。一夜にして顔面の発赤局面は明らかに消退傾向を見せ、患者さんの笑顔は、白虎加桂枝湯の効果を誇らしげに語っていた。
 こうして患者さんはほどなく退院し、喜び勇んで地元へと帰って行った。私も、重症の難病を治癒せしめ、ようやく漢方医の端くれに座ったという充実感に浸っていた。

 しかし、ほどなく、その患者さんから「先生のところに私と同じ乾癬の患者、紹介したから!」という電話があり、その数日後、さらに重症の尋常性乾癬紅皮症の男性が、入院の準備をして私の目の前に現れたのであった。続く。